ごあいさつ
小嶋 可那子(おじま かなこ)です。夫の地元の新庄市で暮らしてあっという間に7年が経ちました。現在は10人家族の主婦をする傍ら、新庄市を含む最上地方の在来野菜をPRするお仕事をしています。未来Lab.ホームページのリニューアルとともに、再びblogを書くことになりました。月1回ペースで更新していきます。
初めましての方も、お久しぶりの方も、よろしくお願いします♪
私ともがみ
去る8月24日〜26日は新庄祭りでした。
1年で一番、新庄市に活気のある3日間。市内を山車(やたい)がねり歩き、沿道はそれを見物する地元の人と観光客で埋め尽くされます。現在は新庄祭りが終わり、街全体がほっと一息ついたところです。
最上地方は間もなく稲刈りが始まります。
夏と秋は、毎年とても慌ただしく過ぎていきます。
私自身は村山地方の山形市出身です。山形県を出たことはなく、生粋の山形人。最上地方にある新庄市に暮らし始めたのは、夫の実家に同居をすることになったから。当時は次女が産まれたばかり。知り合いは夫以外にはおらず、右も左もわからない生活。今はSNSや紙媒体で、かなりの地域の情報は得られるようになりましたが、当時は市報があるくらいでした。
それでも、新しい土地に暮らすわくわく感は、戸惑いよりも大きかったと思います。
何をするにも子ども同伴。身軽に動くことはあまり出来ませんでしたが、かわりに近場でおもしろい場所や出来事を探していました。
新庄に住む、特に年配の人ほど「最上には雪以外は何にもない」と笑うのですが私にとっては目にするものがいちいち新鮮でした。
緑豊かなので、四季の移り変わりが鮮やかです。ベビーカーを押して公園まで行くたった数百メートルの間でも、一ヶ月の間に景色ががらりと変わるので、道は同じなのに飽きません。身の回りで畑を持っている人が多く、よく玄関に採りたて野菜が置き土産されています。まわりに農家さんが多いのです。夏はおすそわけ合戦。今の季節は、いただいた野菜を無駄にせずに食べきるにはどうすればいいか考え続けてます(贅沢!)。そんなわけで、こちらの食の豊かさにはびっくりしました。
土に触れずに生きてきた私なので、野菜には旬があることすら、新庄に住んで初めて知りました。そんな私が今では野菜のPRのお仕事をしているなんて不思議な縁ですが、大人になってから興味を持つと、のめりこんでしまうもので、今では子どもたちや仲間たちと畑で野菜まで育てています。
家庭菜園を始めて4年目。今まで育てたのはトマト各種、なす各種、ピーマン、とうがらし、とうもろこし、大根、人参各種(まだまだありますが割愛)。ラズベリーや花なども育てています。ハーブも、バジルなどいろいろ植えてますが、雑草に紛れて、毎回宝探し状態で収穫しています。食べ物以外にも、染色材料として藍、日本ムラサキ、紅花を育てる他、和綿などを育てて、毎年種をとっています。
草は生えっぱなし、時には雑草に負けて収穫ができないこともありますが、それでもほとんどの野菜が収穫できます。
一度土に触れてみると、農家さんの大変さが実感できます。買う野菜も、ありがたく食べようという気持ちが生まれます。たいていの野菜は育てましたが、今年は子どもたちがメインでお世話したのが、じゃがいも。野菜の代表格ですが、意外にも初めて育てました。 今年は雪解けが去年よりも早かったので、畑の準備がそうそうにできて、桜が散ると同時に植え付けをしたのでした。
そう、最上といえば雪。
写真は今年の冬のものです。まもなく春という時期だったのですが、平地はまだまだ水墨画の様相です。
最初の年には、冬の雪の多さにさすがにびっくりしました。一晩で70cmも積もる日もあり、時には日中のうちに50cmも積もる日さえあります。
しかし土地の人はそれに慣れているので動じません。家の周りの除雪の手間はもちろんありますが、生活圏の道路はいつも除雪されていて快適に走れます。むしろ山形市に住んでいた頃より、運転には苦労しません。
住む人の全てが雪に対する心構えを持っています。中途半端な雪国では、雪かきをする人としない人の間で争いが起きたり、ノーマルタイヤで走っている車が道路をふさいで渋滞が起きたり。雪に対する認識の差でトラブルに発展したりしますが、こちらではもう、強制的に雪と関わるしかありませんので、対処の仕方が能動的。早朝は雪かき合戦みたいになっていて、うちの近所では、誰が一番早起きして早く雪を片付けたか、競ってるんじゃないかと思うほど(もはやそれが楽しみの一つなのかも)、早い時間に整然と雪が片付いています。
土地の人は子どもの頃から雪との付き合い方を知っています。みんなが、同じ苦労を共にする同志みたいなものです。最上の人が雪の話をする時、内容はとても大変そうなのですが、どこかに誇らしげな雰囲気が漂っています。雪のことでは、それだけで記事をいくつもかけてしまうし、まさに最上を象徴するものの一つなので、それはまたの機会に。
最上での暮らしの一つ一つの出来事で、目に映るもの全てが私にとっては魅力的だったのですが、長く住んでいる人ほど、足下の素敵なものには気付かないものです。
自分を振り返ってみれば、20年以上住んでた山形市の魅力を、ほとんど知らないままに過ごしてきました。
たまに実家に帰って、近所に昔からあった建物が突然なくなっていたり、小学生の頃の通学路だった道路のわきの田んぼに次々とお店が建ったりして、何だかぽっかり心に穴があいたような気分になったりもして。ずっとそこにあるものだと思っていたものが、なくなって初めてそれが自分にとって意味のあるものだったんだと気付きます。そして、同じ山形県内であっても、山形市と新庄市の二つの街に住んだことで、自分の中での比較対象ができました。いい部分も悪い部分も、前よりは客観的に見ることができています。最近では最上のよさばかりに目が行きますが、一度離れてしまった今だからこそ、帰省した時などに、山形市のいいところ、見つけてみたいなという気もします。
現在は、最上伝承野菜という、もがみの在来野菜のことを伝えるお仕事をしていますので、折に触れて、それらについて書いていこうと思います。
土地に根ざした野菜について勉強すると、その地の暮らしの文化とは切っても切り離せず、また逆も然りで、しかもそれが現在の自分の生活にも色濃く影を落としているものなのだと気付きます。
農業を勉強したいとか、野菜について学びたいとか思ったことはありませんでした。きっかけは、長女が生まれた頃に、自分が普段食べているものを、もっとちゃんと知った方がいいのかなあ、と思ったこと。主婦をしていると常日頃から野菜とは触れ合っていて、その野菜はどうやって育って、どこから来ているのか知りたい、という純粋な興味でした。そして知るうちに伝承野菜にいきつき、今年の私は、それらを伝えることを生業にしています。
農家さんと付き合っていると、野菜をよくもらいます。自分で家庭菜園をしている意味があるのかと思うほどです。最近では、伝承野菜が我が家のお料理に頻繁に登場します。
話を聞かせてくれるおじいちゃんおばあちゃんが、これまた元気な方達ばかりで、年下の私がいつも元気をもらって帰ってきます。春から秋までの最上人は、とにかく活動的です。
いずれまた、最上伝承野菜についても、書きたいと思います。
来月からは、何か一つテーマを決めて、私が現在住んでいる最上地方の暮らしのあれこれや、時には山形市に住んでいたときのことについて、自分の言葉で語っていこうと思います。
また一ヶ月後、秋にお会いしましょう!
おじま