大鳥に住み始めてもうすぐ1年になります。
地域の人の名前も覚え、違う人と挨拶はもちろんのこと、気さくに話ができるようになりました。
毎日誰かとお喋りをするし、一休みと言いつつ一時間以上も世間話に花を咲かせることもあります。(「仕事しろ!」というツッコミは受け付けません。笑)
それでも、ふとした時にどうしようもない孤独を感じることがある。
なんでかなぁ~と考えてみたときに、日本のサラリーマンたちが大好きな居酒屋文化に、僕もドップリ浸かっていたことに気がつきました。
素晴らしき日本の居酒屋文化。
東京近郊であれば、どこの駅で降りても必ず居酒屋があります。
目印の赤提灯に吸い込まれていくように、スーツを着たサラリーマンたちが暖簾(のれん)をくぐっていく。
席に座るとお通しが出てきて、飲み物の注文を聞かれる。
「とりあえず生!」と、思考停止を思わせるような注文を何故かしてしまう。
ビールが揃ったところで乾杯が始まり、焼き鳥やおでん、ポテトや軟骨から揚げを摘みながら世間話…。
楽しい時間は短いもので、気がついたら終電間近。
慌てて会計を済ませ、急いで電車に乗り込む。
ギュウギュウの満員電車に揺られ、吐き気に襲われながら何とか家路に着く。
都市部で仕事をしていたら誰もが一度は経験するこのサイクルに、僕はドップリはまっていました。
東京で勤めていた頃、週末は必ずと言っていいほど友達と飲みに行っていた。
住んでいる場所はバラバラだけど、電車で乗り継げば会える。
渋谷や新宿に集まっては終電近くまで、時には夜通し友達と飲んでいました。
しょうもないバカ話から、人生設計や夢の話まで…。好きな友達とお酒を入れながら語り合うだけで心が前向きになり、少し大げさかもしれないけれど生きる原動力に変わっていたような気がします。
今思えば、「同世代の仲間と一緒に語り合うことはすごく大切な時間だったな~」と居酒屋なんて何も無い大鳥に来てからそう思うようになりました。
大鳥では気軽に飲みに行けない
大鳥に居酒屋は無い。
居酒屋に行こうかと思えば、必然的に外に出かけなければいけない。
鶴岡市街地まで出れば居酒屋は沢山あるのですが、「飲もうぜ~!」と言って気軽に距離では断じてない。
飲み代が3,000円。運転代行を頼むと大鳥まで7,000円(大鳥⇔鶴岡市街地まで35km)。東京で働いていた時ほど稼いでいれば話は別ですが、現在は手取り13万円なので、飲み会の度に一万円が飛んでいくのであれば生活がもちません。
東京で居酒屋文化にドップリ浸かってきた僕にとって、気軽に友達と集まって飲める場所がないというのは予想以上に辛い。
これはもう、鶴岡市街地に住む友達を沢山作って、飲む度に泊めてもらうしか無いのではなかろうか…
とはいえ、地域で飲み会が無いわけじゃない。いや、むしろ結構ある。けれど…
山形県人は、飲酒に良くお金を使うそうです。
飲酒費用 [ 2012年第一位 高知県 ]|新・都道府県別統計とランキングで見る県民性 [とどラン]
なんと、山形県は居酒屋天国の東京に次いで、全国5位。
日本酒が美味しいからなのか、単純に冬が寒いからなのか…理由までは書いていませんが、山形県人は良く飲酒にお金をかけるんですね。
このデータの信憑性があるかどうかは知りませんが、僕の住む地域でも飲み会は割と多い。
寄合だの総会だの反省会だの…少なくとも月に2回はどこかで飲み会が開催され、ビールや日本酒を飲み散らかしては楽しんでいます。
おじいちゃんが本気で語ったり、おばあちゃんのチチを揉んだり、下ネタを言ったり。
「いい年こいて何やってんの?!」と思うことが目の前で平気で繰り広げられている。
これはこれでかなり面白い。
けれど、何だか物足りないな~と思うのは、やっぱり同世代の仲間と気軽に飲みにいけないことなんですよね…。
と言うのも、おじいちゃんたちと語らっている時に「このコンテンツ、超ヤバイですよね!」とか言っても通用しない。
日常的に使う言葉の違いなのかもしれないけれど、これで会話ができるかどうかは案外大きい。
よく使う言葉も違えば生きてきた時代が違う中で、おじいちゃん世代と今の若者とがこれからの生き方について語り合い、分かり合うことには限界があるのかなぁ~って思うわけです。
同世代と語り合うことはものすごく大切。
同じ時代を生き、同じような苦しみを感じ、悩んでいるからこそ分かり合える部分があります。
僕の世代は高度経済成長やバブルというのは言葉でしか知りません。
むしろ、就職氷河期やJALの倒産など、暗いニュースが取り巻く環境で生きてきた。
一方、おじいちゃん・おばあちゃん世代は戦後の復興を見てきています。
工業製品が劇的に伸び、ふるさとが荒廃していく姿を見ながらも都市へ出稼ぎに行き、お金を沢山稼ぎ、富を築いてきた。だから今でも良い大学に行き、良い会社で働くことがステータスだと思っているおじいちゃん・おばあちゃんは多い。
この考えが間違いだとは思いませんが、生き方や幸せという観点で考えた時に、今の世代とは明らかにズレが生じてしまう。若者の価値観を投げかけられたとしても、どうしても自分の生きた時代と比較してしまうから話が止まってしまうんですよね。
つい先日、東京で知り合ったバックパッカーの友達が大鳥に遊びに来たときのこと。
彼は3年間でお金を貯めるだけ貯め、仕事をやめて海外を旅していた。今も無職で、4月下旬からまた海外へ旅に出るといった、結構な変わり者ではあるが僕は「あぁ~。そういう生き方も面白いよなぁ~」と素直に思う。
けれど、地元のおじいちゃん・おばあちゃんは彼の価値観を理解できていない様子で「いつ、定職に就くのか。」「どこに落ち着くのか。」とにかくそんなに終始してしまっていて話が広がらなかった。
これはどちらが悪いわけでもなく、仕方がないことなんじゃないかなと思います。
だからといって、おじいちゃん世代と酒を飲むことを否定するつもりはない。
学びもたくさんあるし、何かを一緒にやるキッカケにもなり得るし、十分有意義な時間を過ごすことができる。
それはそれとしておいて、変化が激しい今の時代をどう生きていくことが自分にとって幸せなのか、こういうことを同じ時代を生きる仲間と語り合うことがとても大切だと思う。
僕が同世代の人とたまには飲みたいと思う理由はここにあります。
終わりに…
居酒屋文化にドップリ浸かりながらも飲みに行けない環境に来たからこそ気づいたのですが、「飲みにいこう!」という言葉は改めて考えてみると凄く良い言葉だなぁ~と思う。
間柄にもよるけど、「ちょっと話がしたくて…」なんて言って人を呼び出すのは簡単じゃない。それなりの理由が必要になる。
けど、「飲みに行こう!」と言えば、理由なしに相手とコミュニケーションが取れる。そのキッカケをくれる居酒屋は最高だなぁ~と思います。
とはいえ、ないものねだりをしてもしょうがないので、「居酒屋がないなら自分で作ってしまえ!」と昨年の8月から移動居酒屋『大鳥BAR(バルと読みます)』を始めました。
※居酒屋と言っても、実態は会費制の飲み会。
現在は月一回のペースで行っていて、今までで7回行ってきた。
第一回目は、星空の下で。その後、公民館を借りたり、人の家にお邪魔したり、かまくらの中でしたり。
ただただ飲みたい一心で、手を変え場所を変え、居酒屋を運営してきました。
山を登って若者が来てくれたこともあり、これが中々面白い。
今まではお店に飲みに行くことしかしなかった僕が、自分で居酒屋を開いてみると、お酒を買ったり料理を作ったりと準備が大変だけれども、やれることが増えていって結構楽しいんですよね。
ちょっと前に、バーテンさんからカクテルの作り方を学んできたので、次回からはカクテルにも挑戦していこうかなと…。
いつかは拠点となる場所を作って、そこで老いも若きも集まって飲めたらいいなぁ~なんて思っています。
行きたいときにいける居酒屋はないけれど、居酒屋に行かなくなった分だけできるようになったことがある。自分で居酒屋を開くことも、手仕事をするのも、ブログを書く事も…。
今はそれでいいんじゃないかなと思います。
なんだかとりとめのない感じになってしまいましたが、思うところを徒然なるままに綴っていました。
ではまた。