ここ数年、働き方や雇用形態の多様化に伴い、副業・複業を認める企業が増えつつある。ひと昔前までは、副業と言えば「収入を補うためにするもの」というイメージが強かったが、最近はお金を稼ぐことを主たる目的とせず、キャリアの幅を広げたり、社会的な活動や自己実現の場として、副業・複業を行う人も多い。

昨年、将棋むら天童タワー内に新たにオープンしたブルワリー『Brewlab.108』を立ち上げたのは、山形市在住の会社員・加藤克明さん。加藤さんは東根市にあるドイツ系外資製薬メーカーの国内製造会社である「ベーリンガーインゲルハイム製薬株式会社」の社員として働きながら、副業でブルワリーを経営している。

会社員と醸造家という二足のわらじを履き、夢に向かって邁進する加藤さんの生き方に、サラリーマンがより豊かな人生を送るための“働き方のヒント”があるのではないかと思い、これまでのキャリアと副業をはじめた経緯についてお話を伺った。

今回のやまがたで働く人

加藤克明さん プロフィール
1970年生まれ 静岡県出身。大手化学系企業でプラントエンジニアとして数年間に渡る海外赴任を経験した後、2016年、転職を機に山形へ移住。製薬会社のサラリーマンとして働く傍ら、2020年2月、天童将棋むら天童タワー内に『Brewlab.108』をオープン。早朝や休日を利用し、副業でクラフトビールの醸造と研究に励む。

頂上から見た景色が、今後の人生を考える転機に

サラリーマンが独立して起業するというケースはよく聞くが、加藤さんはなぜ、独立ではなく“副業で起業する”という道を選んだのだろう。

「これまでのキャリアを捨てるのがもったいなかったというか、自分の持っている知見や技術を、まだまだ企業の中で活かせるのではないかという思いがあったんです。」

加藤さんは、現在、ベーリンガーインゲルハイム製薬株式会社で、工場の設備管理や安全衛生管理を行うエンジニア(マネージャー)として勤務している。

▲バックヤードで工場のユーティリティを管理

ベーリンガーインゲルハイム製薬に入社する前は、約25年間、プラントエンジニアリング会社や大手化学系企業でプラントエンジニアとして働いていた。学生時代からの夢だった海外での大きな仕事にも携わり、最後はサウジアラビアで1兆円規模の一大プロジェクトのメンバーにもなった。

エンジニアとして、自分が目指していた頂まで登りつめたと思いました。」

しかし、ようやく辿り着いたその場所に、加藤さんの求めていたものはなかったという。

「頂上まで行けば、きっと素敵な景色が見られるはずだと思っていたのですが、実際に登ってみたら、思い描いていた景色とは違ったんです。最高の技術を持ってしても、どうにもならないことがあるというか…。なんとなく限界が見えて、ふっと力が抜けてしまったんですよね。」

▲サウジアラビアの親友と(写真提供:加藤克明さん)

エンジニアとして高い理想を掲げていたからこそ、そのギャップは大きかったのかも知れない。それと同時に、「これからオレは、何をすればいいんだろう?」という思いが加藤さんの胸に去来する。

消費者に近い仕事をしたいという思いで転職

この先、自分はどんな生き方をしていくのか? 悶々とする日々の中で浮かんだ一つの答えが、「もっと消費者に近い仕事をしたい」という思いだった。

「化学会社は、中間製品を作ることが多いので、エンドユーザーとのつながりが薄いんです。例えば、タイヤのゴムを作ったとしても、それはゴム会社が売るものなので…。その点、製薬会社は消費者との距離がわりと近いし、自分の持っているエンジニアとしてのスキルも活かせると思い、転職を考え始めました。」

そのとき、登録していた転職エージェントから紹介されたのが、現在勤めるベーリンガーインゲルハイム製薬株式会社だった。

「面接では、アグレッシブな面白い発想を持った会社だなという印象を持ちました。英語のスキルも活かせるし、上層部の考え方にも共感できたので、ぜひここで働きたいと。実際に働き始めて、本当の意味でグローバル企業だと感じますし、トップの意思決定も早く、仕事は刺激的でやりがいがあります。」

▲ベーリンガーインゲルハイム製薬株式会社(山形工場)

無事、転職に成功し、山形の地で新たなスタートを切った加藤さん。一方で「お酒をつくりたい」という夢も密かにあたため続けていた。

お酒への渇望が、ビールづくりに興味を持つきっかけに

「山形に来る前に赴任していたサウジアラビアは、お酒が飲めない環境でした(※飲酒および酒類の持ち込みが一切禁止されている)。飲めないから余計にどんどん妄想が膨らんで、ネットで作り方をいろいろ調べているうちに、日本に帰ったら絶対に自分で酒をつくってやる!という気持ちが高まっていったんです。」

しかし、個人で投資できる金額や設備の規模を考えると、ワインや日本酒は難しい。その頃、アメリカでホームブルワリーのクラフトビールブームが起きていたこともあり、「ビールなら自分でつくれるかもしれない」と思い至る。だが、そのときはまだ、あくまで“老後の楽しみ”として考えていた。

(イメージ写真)

お酒がつないだ出会いとご縁

もともとお酒が大好きな加藤さんは、山形に移住すると、さっそくあちこちへ飲みに出かけるようになる。誰とでも笑顔で打ち解ける人柄の良さも手伝って、あっという間にお酒好きな人たちとのネットワークができていった。

「あるとき、酔った勢いで「ビールつくりたいんですよね〜。どこかビールづくり学べるところないかな〜」と言ったら、ある方が『天童ブルワリー』(天童温泉『湯坊 いちらく』内)をつくった方を紹介してくれたんです。それが今の僕の師匠。頼み込んで、研修生という形で土日だけ通って、仕込みから樽詰めまですべての工程を勉強させてもらいました。」

▲お酒を通じて知り合った仲間(写真提供:加藤克明さん)

研修生としてさまざまな会合に参加するうちに、今度はビール関係者とのつながりもできていき『月山ビール』(西川町総合開発株式会社)で製造の研修をさせてもらえないかお願いしたところ、受け入れてもらえることに。お金をもらうわけでもなく、あくまで休日に趣味の範囲でやっていたため、その時点では会社に申告するほどでもなかった。

土日を利用して1年半程ビールづくりを学び、そろそろ自分でもつくれそうな目処がたった頃、運良く将棋むら天童タワー内の設備を使わせてもらえることとなり、そこから、起業が一気に現実味を帯びてくる。

▲将棋むら天童タワー

「さすがにビールづくりだけで食べていくのは難しいと思っていました。一方で、社内で副業を認められている社員もいるらしいと聞いたことがあったので、人事に確認したところ「日本におけるベーリンガーインゲルハイムグループでは、必要な申請手続きをすれば副業が認められている」とのことだったので、「じゃあ、やってみよう!」と覚悟を決めました。ありがたいことに上司も社長も理解のある方で、僕がお酒好きだということも知っていたので、「頑張れよ!」と快く認めてくださいました。会社が副業を認めてくれなかったらできなかったと思います。」

副業をポジティブに捉える企業風土

山形では兼業農家も多いため、さくらんぼや田植えの時期は会社を休むなど、農業に関しては社員の副業を認めている企業もある。しかし、他の分野での副業や、まして起業するとなったらどうだろうか? すんなりOKしてくれる会社は山形ではなかなかないかもしれない。加藤さんの会社では、社員の副業に対してどのようなスタンスなのだろうか。

▲人事本部の川原一人さん

「弊社では、年齢やポジションに関係なく、全社員同じ基準で副業を認めています。理由は、副業として新しい分野にチャレンジすることで、視野を広げたり、経験値やスキルを高めることができると考えているからです。副業で得たものを本業にも還元してもらえれば、お互いにメリットがありますし、まわりにも良い刺激になるのではないでしょうか。

副業の申請は年に複数件ありますし、実際に私も副業をしている社員を知っていたりするので、加藤さんから副業したいと言われたときも、とくに驚きはなかったですね。ただ、あくまでも本業はベーリンガーインゲルハイム製薬での仕事ですから、本業でのパフォーマンスに悪影響が出ないようにしていただく事が副業を認める条件であることは伝えました。」(人事本部:川原さん)

企業が副業をポジティブに認めてくれることで、社員ものびのびと自由に新たな自分の可能性にチャレンジすることができる。そのマインドは、本業にもきっとプラスに働くはずだ。

「副業と本業それぞれで人とのネットワークをつくれるというところは、すごくいいなと思いますね。それと、ブルワリーを営業するには保健所から許可をもらわなければならないのですが、製薬会社で衛生管理の仕事経験もあると言うと、保健所の方も信頼してくれます。本業でもやっているので、最新の法規に関する知識もありますし、話もスムーズにできますね。」(加藤さん)

今やっている仕事以外に「やりたいことがある」となったとき、「会社を辞める」という選択肢の他に「会社を辞めずに、副業でやってみる」という選択肢があれば、企業は優秀な人材の流出を防ぐことができ、本人も安定した収入を失うリスクを回避できる。まずは就業規則を確認し、総務や人事に働き方を相談してみることが大事だ。

夫婦二人三脚でのブルワリー経営

家庭を持つサラリーマンが副業する場合、会社の許可だけでなく家族の理解も得なければならない。ブルワリーをはじめることについて、奥様の反応はどうだったのだろう。

「反対はされませんでしたね。むしろ「やれ!」ってけしかけられていたかも(笑)。妻もお酒が好きで、いつも二人で一緒に飲んでるんですよ。ビールづくりも応援してくれていますし、事務や経理もやってくれてるので本当に助かります。」

▲頼もしい妻で副代表の佐織さん

日頃から奥様としっかりコミュニケーションが取れているということ、また、お酒が夫婦共通の趣味でもあるという点も、加藤さんが副業&起業できた大きなポイントかもしれない。

現在の加藤さんの働き方は、平日は朝だけ出勤前にブルワリーに立ち寄り、30分ほど温度調整など醸造に必要な作業を行う。会社に出社したら「集中して仕事するぞ」とスイッチを切り替え、ビールのことは考えない。その代わり、土日は朝から晩までブルワリーに缶詰になって、ビールづくりに没頭する。もちろん、休みはない。「大変だけど楽しいですよ。好きなことですから(笑)。

同級生との夢が詰まった自分たちの工場

ビールづくりのノウハウを学べば誰でもブルワリーを立ち上げられるのかと言えば、そうではない。まず醸造施設としてのブルワリーを設計するところから始まるが、加藤さんは、業者さんとディスカッションしながら自分で設備設計したという。

▲将棋むら天童タワー正面左側にあるのが加藤さんのブルワリー

「僕はプラントのエンジニアでしたから、そこは得意分野です(笑)。設備工事の仕事をしている中学の同級生と「いつか一緒に工場を作りたい」と20年前から話していて、自分たちの工場を作るというのは彼と僕の夢でもありました。二人であーでもないこーでもないって言いながら一緒に作ったので、いろいろな想いが詰まってる工場なんですよ。」

▲ビールを熟成するタンク

計算では導き出せない、醸造の奥深さに魅了される

プラントエンジニアと醸造はまったく異なる仕事だが、加藤さんにとってビールづくりの魅力はどこにあるのだろう。

「ビールのレシピを作る前に、こうしたらこういう味になるかなということを考えるんですけど、それを想像するのがものすごく楽しい。出来上がりと自分のイメージが一致した瞬間が、最高に嬉しいんです。自分がつくったビールを皆さんに飲んでもらって「美味しい!」と言ってもらえたら、もう、たまらないですよね(笑)。それが、消費者との距離が近い仕事の醍醐味だろうなと思います。

▲現在、秋に発売予定の新商品(紅花を副原料に使用)を仕込中

僕は、長いことプラントエンジニアとして仕事をしてきたので、物事の過程を論理的に組み立てて、計算して具現化していくということをずっとやってきたんですが、そういう世界だけに没頭していると少し疲れてしまって… 。

ビールの醸造というのは、酵母の力に依存するところが大きいので、自然と向き合うのが面白いなと。理論や計算だけではわからない世界に、すごく魅力を感じましたね。」

山形から世界を目指す

「まずは山形からはじめて、東北、東京へと広げていき、ゆくゆくは海外に工場を作りたいんですよ。山形発で世界に進出するのが、僕の夢ここだけで終わるつもりはありません。それぐらい可能性があるビジネスだと思っています。

▲現在、販売しているのは、副原料にそれぞれ土佐文旦、デーツ、アップルを使用した3種類。(デーツは、ジャパングレートビアアワーズ2020銀賞受賞)

108という屋号にちなんで、煩悩の数だけテイストを作るという目標を掲げていますが、僕はそれを生業にして一生かけてつくっていこうと思っています。会社員というのは定年が来れば終わりですけど、ビールづくりに終わりはありませんから。」

会社員として働きながら夢を実現するには

いつか何かをやりたいと思っていても、そのいつかは訪れないままで終わってしまう人も多い。加藤さんが、会社員として働きながら自分のやりたいことを実現できたその鍵は何だろう。

「やっぱり人とのつながりを持てたということが一番大きいですよね。自分の力だけではできなかったと思いますし、いろいろな人の力があって実現できたと思います。」

加藤さんは、本業でも副業でも、出会いとコミュニケーションをとても大事にしている。人とのつながりを生かすことができるのは、持ち前のフットワークの軽さとオープンマインドな性格による部分も大きいが、お酒が大事な潤滑油となっていることは言うまでもない。

▲会社の飲み仲間と紅花栽培(写真提供:加藤克明さん)

現在、新たなビールの副原料として、山形県花である“紅花”の栽培にチャレンジしているという。その活動には、なんとベーリンガーインゲルハイム製薬の人事担当者である川原さんも参加している。

「紅花を一緒に育てているメンバーは、もともと会社の飲み仲間なんですよ(笑)。仕事でのつながりから一緒に飲むようになって、今ではビールづくりまで一緒にやってくれて、良い仲間に恵まれています。」

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会社員として充実した人生を送りたいのなら、お酒の席で仕事の愚痴を言うのではなく、実現したい夢や目標を語ることからはじめよう。仕事も夢も、積極的にいろいろな人と関わり、自分のやりたいことを伝えて行動し続ければ、出会うべき人と出会い、自然と道が開けていくのだろう。

最後に…加藤さんから仕事で悩む若者へのアドバイス

――キャリアアップするために大事なことは?

「まず、今やっている仕事をしっかりやること。それができないと次もないでしょう。それから、人とのつながりを大事にすること。いろいろなことに興味を持ってたくさんの人と接していくと、それがどこかで自分の糧につながる。だから、なるべく若いうちにいろいろな人とコミュニケーションをとるといいと思いますね。」

――仕事で行き詰まったりモヤモヤしているときにやるべきことは?

「僕がいつもやっているのは、キャリアの棚卸しです。自分の強みと弱み、アピールポイントなどを整理する。「自分を知る」ということですよね。常に自己分析をやっていないと、自分のスキルも上がっていかないんですよ。

それと、自分の目的を言語化することですね。自分のやりたいことや、求めるものをはっきりさせないと、マッチングできませんよね。そこをうやむやにしたままだと、流されてしまうと思いますし、「やっぱり違う」となるのではないでしょうか。」

――仕事を変えたり、新しいことを始めるタイミングはどうやって見極めればいいですか?

「時代の流れや経済の浮き沈みもある中で「波に乗る」ということは意識しています。会社も生き物なので変化しますよね。だから常に情報にアンテナを張って社会情勢を見ておくことは大切です。それと、自分の進みたい方向と会社の進む方向が合っているかどうかを確認すること。最初は合っていても少しずつズレていくこともありますから。タイミングは自分で見極めないといけないと思います。」

『Brewlab.108』(ブリューラボ・トウハチ)



所在地:山形県天童市大字久野本1273−2

販売店:「将棋むら天童タワー」「La Jomon」「おさけマルシェ とうかい」「ショウナイホテル スイデンテラス」ほか

お問い合わせは、『Brewlab.108』facebook  へお願いします。

【取材協力:ベーリンガーインゲルハイム製薬株式会社

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